日本大通りは、横浜市中心部の関内地区にあり、神奈川県庁などが位置する官庁街の道路です。1859年に横浜港が開港し、その7年後、1866年に発生した「横浜の大火」を契機として外国人居留地の大規模な区画整理が行われました。イギリス人建築家リチャード・ブラントンの設計により、1870年に日本初の西洋式街路として、横浜公園と象の鼻波止場を結ぶ街路が完成し、1875年に「日本大通り」と名付けられました。当初は都市景観のためではなく、火除地・防火帯としての機能を持たせることを意図して設計されました。現在の銀杏並木は、関東大震災後の復興事業で整備されたものです。