関東大震災の当時はレンガ造の建物がまだ多く存在し、地震の強い揺れにより、レンガ造の建物に被害が集中しました。当時の日本で最も高い建築物である「浅草凌雲閣」(12階建てレンガ造)は、関東大震災の激しい揺れにより半壊・解体されました。
また、当時の東京市15区における住家全潰は約1.4万棟であったのに対して、焼失は約22万棟で、火災による被害が大部分を占めました。これは、木造の建物が密集していたため、延焼が拡大したことが原因の一つと言われています。これ以降、木造・レンガ造から、鉄筋コンクリート造の建物が増えていくこととなりました。